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[第3話]エレクトリック・ギターの歴史 2008/08/23

ストラトキャスター誕生前夜-1『フェンダーの誕生』

ヤッホ!(^-^)v
久し振りだ。

今回から、何回かに分けて、エレクトリック(エレキ)・ギターそのものの歴史について書いてみようと思う。

まぁ、エレキ・ギターの歴史と言っても、自分のように古いタイプの人間にとって“エレキ”と言えば、フェンダーやらギブソンという事になるわけで(笑)

一回目の今日は、やっぱりフェンダー・ストラトキャスターについて書いてみる。

まずは、名器ストラトキャスターが生み出された過程や背景について書き始めよう。

フェンダー・エレクトリック・インストゥルメント・カンパニーの創始者クラレンス・レオ・フェンダーさん。

この人は、子供の頃から機械や電気や工具に強い好奇心をしめしたそうだ。

若い頃はアレコレと職を変えた。
一時期、経理事務なんぞもやっていたそうだが、不景気だったのと、結局機械いじりや電気関係が好きだったのとで、第二次大戦が勃発した頃、生まれ故郷のカリフォルニア州に戻り、小さなラジオ修理店を始める。

そして、この時期にある人物に出会う事になる。

彼の人生を大きく変えた人。
その人の名は、ドク・コフマン。

地元のミュージシャンで発明家(…なんか怪しい)。

そういえば、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる発明家(科学者?)も“ドク”だが…偶然かな?
あっ!ちなみにHITOSHI BANDのベース、ハシバの嫁さんのお父さんのニックネームも“ドク”。
これは単純に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“ドク”から来ておる(-_-)…まぁ、そんな事はどうでもよいか(笑)。
で、このドクさん。
小さな楽器店を経営しておったそうな。

アンプの修理などでレオの所にちょくちょく訪れるようになったドク。

アンプやギター用のピックアップ等、共通の話題が多く、二人は意気投合&協力して、1943年に最初のオリジナル・エレクトリック・ギターを制作する事になる。

これは今の“エレキ”とは違い、ハワイアンなどで使われる、横にねかせて演奏するラップスチール。

1945年になると、このラップスチールとアンプをセットにしたものが市場に出回るようになる(写真)。

ちなみに、ブランドネームは、コフマンとフェンダーの頭文字をとってK&F。

戦争が終わった、当時のアメリカでは物が良く売れたそうだ。

しかし翌46年、事業を拡大したいレオとの意見の相違から、ドクがK&Fを離れ、その歴史はこの年で終わってしまう。

残ったレオはフェンダー・エレクトリック・インストゥルメント・カンパニーを創設。

これが所謂“フェンダー”の本格的な歴史の始まりとなる。

ストラトキャスター誕生前夜-1『フェンダーの誕生』〜おわり〜



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